「アール・ブリュット」とは何かを考えてみる(5)

 これまでアール・ブリュットを密教と比較して考察することによって、アール・ブリュットの世界観を浮かび上がらせてきた。しかし、こうした考え方を日本人以外の人と共有することは、経験上、大変難しい。

 「草や木、石や物に魂があるか」と問われたら、あなたはどう答えるか。きっと「ある」と答えるか、そうでなくても理解はできるのではないだろうか。しかし、実はこうした考え方は日本人特有のもので、密教が伝わるチベットでさえ、虫や獣には魂があっても草や木には魂は無いと考えられている。

 日本は、仏教が大陸から伝来した後も、古来より続いてきた森羅万象に八百万(■やおよろず)の神が宿るとするアニミズム的な世界観を大切に残した。それが今日まで影響を及ぼしているのだろう。携帯電話などが日本市場で独自の発展を遂げ、海外との汎用性を失うことをガラパゴス化というが、今に始まった訳でも無さそうだ。アール・ブリュットを考えていく上で、日本の特異性までも知るに至ったのはとても面白いことで、言い換えれば日本こそアール・ブリュット的な国とも言えるだろう。

 考え方の違いから、長年アール・ブリュットを研究してきた欧米の人たちと密教を題材に語り合えないのは、私としては非常に残念だ。しかし同じように欧米の研究者の中には、中世ヨーロッパで盛んに行われた「錬金術」からアール・ブリュットを考察している人もあって、実にユニークだ。このように多様な角度からアール・ブリュットを考える行為、それがアール・ブリュットを鑑賞する醍醐味だと私は思っている。

 アール・ブリュットが出来上がった背景が、そもそも現実社会や孤独からの逃避で、その表現が一見おどろおどろしく直視出来ないものであっても、非現実の世界を作り出して、そこに活路を見出そうとした作者の想いがちりばめられている。「アール・ブリュット」を考察することは、作者と時空を超えて非現実の宇宙を共に冒険する行為でもあるのだ。

 有名、無名に関わらず、アーティストとその創造の世界を探求する行為は時として、自分の内面を探り当てることにも繋がる。アール・ブリュットは表現の根底が深い為に、逆に自分自身の深い精神性を見つめることにもなるのだろうと私は感じている。

 是非多くの人に、アール・ブリュットを知ってもらいたい。



 ところで百年以上の歴史を誇る芸術の祭典、ヴェネチア・ビエンナーレに今年、滋賀県の澤田真一さんの作品が招聘、出品されている。数年前まで世間にその存在が知られることの無かった澤田作品が、ついに国際的な芸術の檜舞台にまで躍進したのは快挙だし、痛快だ。心からの祝辞をお送りしたい。私が澤田さんの宇宙に魅入られたように、これから世界中の人々がどんどん巻き込まれることだろう。

(写真:澤田真一作)
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