陶芸家と窯

 陶芸家と窯
 
 知り合いの陶芸関係者から、「工藤君、窯いらないかい」という電話があった。聞けば4年前の秋にお亡くなりになった旭川の陶芸家佐藤倬甫(たくほ)さんの窯だという。
 倬甫さんは、1996年に僕が本格的に陶芸作家として歩み始めた時から親しくして下さった。20歳以上の年齢差があるものの、陶芸に対する考え方を共感出来る方だった。
 北海道での陶芸は、しばしば環境の困難さから、続けて行くことに不安を抱く。そんな僕にとって旭川で創作活動を重ねている倬甫さんは憧れの存在だった。一緒に取り組んだ札幌での企画展などは思い出深い。
 彼は北海道の陶芸家としての自信を、僕に与えてくれた。
 
 倬甫さんの作品は素朴で温かみがありながら、力強さを感じさせる。まさに北海道の風土をストレートに作品に込めたという印象がある。
 享年61歳。陶芸家としてはこれからという時だったのにと、その無念を想う。
 
 倬甫さんの窯を譲り受けるには、何かしらの覚悟のようなものが僕には必要だった。それは、陶芸に対する想いのようなものを繋いで行くということかもしれない。僕には荷が重い。しかし、「倬甫さんが焼いていた窯で、僕も焼いてみたい」率直にそう思うのだから頂くことにした。
 
 4トンのユニック車をレンタルして、倬甫さんの主宰していた「納屋工房」に向かう。工房は生前のままで、主を失って寂しげだった。そんな中でも窯は工房の核となって、その存在をかろうじて保っているようだった。
 2トン以上もの重量がある窯を移動するのは大変なことで、大事故にも繋がりかねないので慎重に作業を進める。ユニックで宙づりにして、工房からトラックの荷台に窯を移動させると、一気に「納屋工房」の存在が薄らいでいくのが分かって寂しくもあった。
 
 旭川市内を横断して、僕の工房に倬甫さんの窯を運んだ。屋内に入れるのは想像以上に大変だった。あまりにも大きい窯だったので、工房のコンクリートの外壁をハンマーで大きくぶち破らなければならなかった。機械が入らないので、鉄パイプをコロにして人力で移動するしかなかった。


 
 この窯がしっかり設置され、使えるようになるのはきっと来年になる。窯の前で温度や炎の状況を僕が見ている姿は、きっと倬甫さんと同じような仕草になるだろう。そういう僕を見るこの窯と、これから日々、付き合って行くことになる。出来ればいい仕事を見せたいものだ。



(あさひかわ新聞 2012年11月13日 工藤和彦コラム「アールブリュットな日々」より)
 
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