土と色

京都の岡崎公園の大きな鳥居の目前にあるギャラリー唯さんで、4月29日から工藤和彦の個展を開催していただいています。
6日、7日、11日は工藤がギャラリーにおります。
北海道から5日に京都に入りギャラリーにご挨拶にお伺いしたところ、近くの京都市美術館で「土と色」展が開催される告知がありました。
かつて、22年前には僕もこの展覧会の準備に滋賀県立信楽学園の職員として展示に携わっていたことを思い出します。
粘土によって、「これほどまでに自身を開放する造形」が可能なんだと気がつかされた日々でした。
今回は奇遇にも僕の個展と開催日が重なっており、とっても近いので毎日何回も通っています。
変わらず、圧倒的な存在感にため息がでます、、、、、、

是非、こちらの展覧会もご覧になってください。

15回 「土と色」展
京都市美術館 5月6日から11日

工藤和彦 個展
ギャラリー唯 5月11日まで
詳しくはこちらをご覧ください


 

北海道スイーツ(三方六)お菓子も白樺で

最近、もっぱらお土産にするのが、『三方六』(さんぽうろく)だ。

『三方六』は1965年から販売され、今や北海道の庶民ブランドとしてロングセラーとなっている。
空港内でお土産を選んでいる時に、よくこの「三方六」を見かけてはいたものの、中身が少量にパッケージされたものではないので、お渡しした先方での都合を考えるとなかなか手が届かなかった。また、試食の機会がなかったので、その味も謎だった。
この菓子を買うようになったきっかけは「白樺」。
北海道の風土にこだわった焼き物をテーマにしている僕は、近年、白樺の灰を釉薬にした「白樺ホワイト」というシリーズを展開しているのだが、同じ「白樺」を題材にして、菓子を作り続けて半世紀にも及ぶロングセラーとなっている「三方六」に関心をもったからだ。
「三方六」を初めて食べた時、あまりにものおいしさに驚いた。正直、それほど味には期待していなかったのだけども、想像を超えた旨さ!クオリティーが高い。

北海道十勝産の地元原料にこだわり、卵、砂糖、バター、小麦に至っては製粉会社と共同で「三方六専用小麦」まで開発するという意気込みだ。
そして形もユニーク。バウムクーヘンのように輪切りではなく縦にカットしている。これが「三方六」の最大の特徴。

ドイツ人のカール・ユーハイムが大正時代に日本に初めて紹介したバームクーヘンを十勝発の菓子にしようと1960年前半から開発を開始。日本人好みのしっとりとした食感にするために試行錯誤を重ねる中で、あまりにも多量のバターを入れたために心棒からスポッと抜け落ち、潰れてしまってたものを、職人がもったいないので縦にカットしたところ、それを見た社長がひらめいたのが薪の形「三方六」だった。
明治の北海道開拓期には、開墾のために伐採が進み、建築用以外のものは薪として利用された。そのサイズは小口の3方が6寸(18センチ)と決まられていて、冬の寒さを三方六のサイズの薪を燃やして乗り越えたのだ。
縦に切ったバームクーヘンを「三方六」と命名。表面には、2種類のチョコレートで白樺の木肌をアレンジ。
開拓精神が詰まった菓子となったのだ。

1968年には全国菓子大博覧会で大臣賞受賞。1988年には世界菓子モンドコレクションで最高金賞を受賞している。
2012年から小袋になった「小割り」シリーズも人気。

カットされているので、食べやすい。
機会があったら「三方六」をぜひ食べてみてください。

陶芸家と窯

 陶芸家と窯
 
 知り合いの陶芸関係者から、「工藤君、窯いらないかい」という電話があった。聞けば4年前の秋にお亡くなりになった旭川の陶芸家佐藤倬甫(たくほ)さんの窯だという。
 倬甫さんは、1996年に僕が本格的に陶芸作家として歩み始めた時から親しくして下さった。20歳以上の年齢差があるものの、陶芸に対する考え方を共感出来る方だった。
 北海道での陶芸は、しばしば環境の困難さから、続けて行くことに不安を抱く。そんな僕にとって旭川で創作活動を重ねている倬甫さんは憧れの存在だった。一緒に取り組んだ札幌での企画展などは思い出深い。
 彼は北海道の陶芸家としての自信を、僕に与えてくれた。
 
 倬甫さんの作品は素朴で温かみがありながら、力強さを感じさせる。まさに北海道の風土をストレートに作品に込めたという印象がある。
 享年61歳。陶芸家としてはこれからという時だったのにと、その無念を想う。
 
 倬甫さんの窯を譲り受けるには、何かしらの覚悟のようなものが僕には必要だった。それは、陶芸に対する想いのようなものを繋いで行くということかもしれない。僕には荷が重い。しかし、「倬甫さんが焼いていた窯で、僕も焼いてみたい」率直にそう思うのだから頂くことにした。
 
 4トンのユニック車をレンタルして、倬甫さんの主宰していた「納屋工房」に向かう。工房は生前のままで、主を失って寂しげだった。そんな中でも窯は工房の核となって、その存在をかろうじて保っているようだった。
 2トン以上もの重量がある窯を移動するのは大変なことで、大事故にも繋がりかねないので慎重に作業を進める。ユニックで宙づりにして、工房からトラックの荷台に窯を移動させると、一気に「納屋工房」の存在が薄らいでいくのが分かって寂しくもあった。
 
 旭川市内を横断して、僕の工房に倬甫さんの窯を運んだ。屋内に入れるのは想像以上に大変だった。あまりにも大きい窯だったので、工房のコンクリートの外壁をハンマーで大きくぶち破らなければならなかった。機械が入らないので、鉄パイプをコロにして人力で移動するしかなかった。


 
 この窯がしっかり設置され、使えるようになるのはきっと来年になる。窯の前で温度や炎の状況を僕が見ている姿は、きっと倬甫さんと同じような仕草になるだろう。そういう僕を見るこの窯と、これから日々、付き合って行くことになる。出来ればいい仕事を見せたいものだ。



(あさひかわ新聞 2012年11月13日 工藤和彦コラム「アールブリュットな日々」より)